この記事を読むのに必要な時間は約13分21秒です。
10月末で退職するのできっかけとか、過去ツイートを振り返る。
辞めるにあたって、たくさんのツイートやブログやYouTubeに勇気をもらいました。
退職を書き残してくれた全ての新卒だった人達に感謝。
駄文なので暇つぶしにどうぞ。
2021年4月 あれれ、おかしいぞ〜
4月1日、唯一(唯一)内定をいただいた大手飲食チェーン🍣に入社。
4月1日から5日間、大阪の本社で研修。
座学中心のホワイトな研修だったが、(人格否定とかされると思ってた)
「打刻30分前には到着してメールチェックをする」という一言に引っかかる。
その後、事前に知らされていた店舗(東京)に配属される。
飲食のバイト経験もなく、辛いとかも感じる暇もなくがむしゃらに頑張っていた。
ひたすら夢が仕事の内容で寝た気にならないこともしばしば。
5月
パートさんに言われた一言。時代錯誤ですよ、と突っ込みたかった。
社員さんにも、同じようなこと言われた。ただでさえ、10時間〜12時間勤務なのに早く来る????え????と思って、全然実行しなかった。
実際、うちの店長は勤務時間内に教えてくれたので、来る必要はなかった。
おかげで今となってはハマチの皮とか引けます🔪🐟
今となっては異変の1つ目。
東京は緊急事態宣言で休みの日することもいくところもなく、2週間に一度、成分献血を始めたのです。
体重は3ヶ月前に健康診断受けたので、その時からの比較。
多分、実家にいた3月も同じくらいの体重だったはず。
ダイエットなんて人生で一度もしたことがないがわかる、通勤が片道10分の歩きになったくらいじゃ痩せるわけもない、、、、
大学時代、武蔵境から魔境の新宿で乗り換えをし国際展示場まで行っていた時でさえこんなに減らなかった。
悪いことばかりではなくて、こんなこともあった
しかし、、、
些細なことを気にする私、、、、
直接気になることを聞ければ、ストレスが積み重なったりしないんだけどね、、、HSP寄りなので
6月 クレーマーに初めてぶち当たる
基本同期は本当に良い人、かつ今まで出会ったことのないテンションというか、、、なので話していて面白い
今となっては忘れてたけどプチ事件があった
こういうのがわかってて学生時代一回も飲食のバイトつかなかったのにな、、、(以下略)と思った気がしました(もう忘れた)
がむしゃらすぎて気付いてなかったんだけど、親や友人から「そんな遅くまで働いてるの???」と言われ、ロングシフトは普通ではないと自覚し始めます
しかし、同期と話すと楽しいので辛さがリセットされてしまいます
月末にある研修なんか、ご飯楽しくて(⇦学生時代ぼっちだった人)
社会人になってからようやく実家に帰れました
この時は帰っても、辞めたいとか、そんな泣き言を言ったりはせず、むしろ楽しいくらいの勢いだったんですよ、、、、(自分でも信じられない顔)
7月 忍び寄る影
7月タイトルとは関係ない🔻けど、これは許せないかった、世のナンパ滅びろ
やめようと思ったきっかけです、これ
美容師さんには「割とみんななってますよ。はるかさん、余計気にしちゃいそうですね〜」と。
案の定めちゃくちゃ気にした
だって、普通できなくない????
精神は崩壊してないけど体は悲鳴を上げてるってことでしょ???やばない??? どうすればいいのかわからん、、、、
と思って、会社の女性相談窓口みたいなところに連絡。
人事の女性の方が電話をかけてきてくれて、悩んでることとかあるんですかー、って話聞いてくれたけど、結局病院一度行ってみたらどうですか、という感じだった。
過去に円形脱毛で相談してきた人いたかどうかが知りたかったなあ、、、
参考にしてくださいねと送られてきた女性の体調不良についてのサイトには、円形脱毛の項目無いし、テンプレかぁと思ってしまった
その後、円形脱毛とか体重減少は何らかの関連があるのでは???
と思い始め、とりあえず体重を増やそうと思い始める
8月 同期に救われる、転職を決意
断ち切れない海外への憧れ
デブエットというか、気にせずウーバーを頼もう週間をやってみたが、1キロも増えない体重、、、
月に1回美容室いってるんだけど
「あれ、後ろにも脱毛っぽいのありますね。ストレス頭に出るタイプなんですかね〜」
といつもの美容師さんに言われる。
これにより、退職を真剣に考え始める。
退職を決行するにあたり、YouTubeの新卒辞めた動画とか、退職代行使ってみた動画とかをひたすらみてた
決定的な何かがあったわけじゃ無いけど、8月全体的に元気がなくて
この生活を3年後も続けて、自分は得るものがあるのだろうか、と。
やっぱり今まで頑張ってきた英語を使いたいから、転職する!となった時に、飲食の社員が持ってるスキルって同業他社でしか活かせないのでは、、、、、、、、、と
親に電話して、このままじゃ体調だけじゃなく精神も参るかもしれない、その前にやめたい、でも勇気がない、退職代行使いたい😢と泣いてしまったのも8月末。
なので、第二新卒で英語使えそうな求人探したり、少し応募したりし始めた。
応募する中でそもそも、私は何がしたかったのか、、、と
よく考えたら、高校上がる時も、大学決めるときも、就活の時も「海外に行きたい(現地の学校に通いたい、現地で就職したい)」が自分の全てだったのに、親からの言葉や世間一般を盾にして、普通に日本の学校に通って長期の留学も自分から行かなかったじゃないか、行動しなかったじゃないか、、、とふと
これは、日本で転職したとしても、また海外転勤できないから😭とか言って短期でやめかねないぞ
と感じ、第二新卒でも行ける怪しげなマレーシアコールセンターについて調べ始めます
(マレーシアのコールセンターへの応募経緯、参考にしたものなどは後で別記事にまとめます)
8月末、転職サイト見てお気に入り登録するだけじゃ仕事は決まんないんだよなぁ、と意を決して何件かコールセンター系に応募
9月 怒涛の転職&退職準備
9月頭に、BPOの会社の人事の方との面接と、それとは別にマレーシアのエージェント会社の方と面談を。
ちょうどすぐ、転職サイト登録したわ、の例の同期に面接を受けたこと、円形脱毛ができていることを相談。その日にBPOに合格を貰った。
同期に伝えたら次の日同期休みなのに「はるかちゃんの好きな仕事をしたらいいと思う!」とLINEを😢
本当にいい同期を持った………
合格を貰った次の日からたまたま五連休だったので実家に帰省し、いろいろ話し合い。
父は興味が無さそうで本当にマレーシアにいくのか、へえ。みたいな感じ、
弟(高卒3ヶ月で某大手自動車メーカーを退職)は猛反対。
母は「私が言ったって聞かないと思うから」と半ば同意。私が弟に論破され泣きながら「今はお母さんもお父さんも元気だけどこれが3-5年後は元気か分からないじゃん😭 その時にそんな2人を置いては海外に行けないじゃん😭😭」と言ったらお母さんが泣いてしまった………理由はよく分からなかったけどこんな娘でごめんね。
実家から戻った次の日には出勤だったので、その日に直属の上司である店長に退職の意思を伝え、その3日後の研修で課長と面談し、10月末での退職がとりあえず決定しました。
退職を伝えた当日の話はまた詳しく書こうと思う………
とりあえず書きなぐってぐちゃぐちゃだけどこんな感じ。
追記
上司がクソだったので退職代行を使いました